トランプ時代のポリティカルコレクトネスとアニメ:創作の自由を考える

緊急に書かねばならないと思ったのでまとめます。現在、Youtubeや各種SNSで特に、ポリティカルコレクトネスに絡んでかなり危うい言葉がまかり通っています。特にトランプ氏のUSAID解体をヒーロー視し、USAIDがNHKなどに資金を供給して報道や番組を捻じ曲げてたとする主張が出回っています。これはアニメ視聴者にも全く無関係ではないので、通常の投稿ではなく投稿します。

ポリティカルコレクトネスとその脆弱性

まず、根本を言えば、本当の政治的な正しさとはなにかということです。意図があるので敢えて日本語で書きます。まず、ポリティカルコレクトネスなるものの脆弱性はほぼ、『WOKE CAPITALISM 意識高い系資本主義が 民主主義を滅ぼす』の書評に書いた通りです。補足して書くと、商業的には易きにながれるこれが最大の問題です。つまり、平等性を安易に実現しようとして、女性さえ出せばいい、黒人さえ出せばいい、見目麗しくない人物さえ出せばいいとなることです。そして、それがチェックリスト化されれば最悪です。

政治的正しさとはそのような易いものではないということです。では、政治的な正しさを実現するとすればどうするか、端的に言えば、自分の中に正しさを持つということです。ロールズの正義論とも一部重なりますが、例えば、暴力は正しくないという正義を持ったならば、暴力を振るったものは悪く描かれなければならないとなります。従って、平等性を持つとすれば、それは黒人さえ出せばよいではなく、作品の中で平等性が描かれなければならないとなります。

ステレオタイプとその打破

これと、注意すべきはステレオタイプです。これは昔の戦隊ものを出すのがわかりやすいでしょう。キャラクターがパターン化していた典型例ですが。例えば、黄色のヒーローは男性で太り気味で、カレーが好きというものです。このような、ものがずっと続くとどうなるか完全にステレオタイプ化します。これと戦ってきたのが私はプリキュアシリーズだと考えています。

まず、プリキュアシリーズの第一作、ふたりはプリキュアのコンセプトは、「女の子だって暴れたい」です。これは、女の子はこうでなくてはならないへのカウンターです。そして、これは暴力であることを意味はしません。ただ力に訴えて敵を倒すのではなく、アクションは攻撃性がないのが特徴で、決して日常、人間ドラマを否定しません。しかし、シリーズが続くにつれ、別なステレオタイプが出来たのが確かです。例えば、プリキュアは全て女性というのは一つのステレオタイプです。しかし、プリキュアシリーズでは、『HUGっと!プリキュア』でゲストながらキュアアンフィニが登場、『ひろがるスカイ!プリキュア』ではキュアウィングが登場しました。

しかし、忘れてはならないのは単純に、ステレオタイプの打破が政治的正しさではないこと。ステレオタイプに陥るのは偏見への道、暗黒への道、痛みへの道ではあります。しかし、先に書いた通り、単純にガイドライン化し、チェックリスト化するのは政治的正しさとは真反対です。これらを称して私は先の書評ではTINSELと呼んでいます。つまり、政治的に目覚めたことをただ記号化しただけの安ピカです。

トランプ氏とポリティカルコレクトネス

また、トランプ氏の方向では全く、求める事にはならないことを付言します。トランプ氏の求めるものは、反キリスト教的偏見の根絶です。この言葉通りであれば、ポリティカルコレクトネスなるものを忌避したアニメファンの求める、自由な作品作りは決して実現しません。なぜなら、過去に、例えばTRPGなどが反キリスト教的と指さされてきた過去があるからです。なぜなら、ファンタジー世界の多くは自由であり、多神教世界も往々にしてあります。しかし、それらはキリスト教保守派の言葉を借りれば反キリスト教的です。

最悪の場合、トランプ氏の方向では白人、キリスト教徒、アングロサクソン、男性以外は人間とみなされない恐れがあります。これらは、特にWASPというKKKなどが主張してきた内容と相似であり注意する必要があります。この場合、行きつく先はコードギアス 反逆のルルーシュの初期時点と同じようなものです。

真の政治的正しさとは

重要なのは真なる政治的正しさであり、パターン化したチェックリストではありません。真の政治的正しさは、表面的な対応やチェックリスト的なアプローチではなく、深い理解と実践によって実現されるべきです。 これらへの道が真なる自由なる創作への道しるべです。